EN / JP

Space X (2024)

paper doll, furniture, abstract painting, drawing, video, mixed media installation

NEW

STM

WRK

BIO

info[at]tksikd.com

©Takeshi Ikeda all rights reserved 2026

空間 X (2024)

 

「資本主義」という一つのエージェントを、遊星からの物体Xにおける変幻自在の貪欲な怪物に喩えたマーク・フィッシャーの言葉に着想を得て作られたインスタレーション。

 

マネ風の現代のアテンションエコノミーを描いた絵画、様々な色の体液を出しながら崩壊していく顔の映像、抽象絵画の名作の模造品、オフィスのデスクで錠剤や栄養ドリンクを摂取しながら作業を続ける男の模型。暗号通貨のマイニングマシンの模型。そして「物体X」で構成されている。

 

 

 

 

温室にて (2023) 177.5 × 238 cm, pastel on paper

 

マネの19世紀末の絵画、とりわけこの作品が模している《温室にて》(1879)は、近代化の特徴である、場所性が奪われていく過程をよく表している。※4温室は、植物をそれが自生する環境から引きはがし、人工的に手懐けた場所であり、同時に温室自体が据えられた場所のコンテクストもうやむやにしてしまう。また、彼が描く人物のファッションや眼差しも、特定の人物であるというよりも、抽象化された社会的な「人間」を表しているように見える。

 

 

 

仕事場にて (2024)   71.5 × 200 × 200 cm, paper, styrofoam, mirror, cigarettes, refuse, pill case, refuse

 

文化人類学者のマルク・オジェは、資本主義化~超近代化する現代において拡大する、場所性やローカリティの奪われた場所を「非-場所」と名づけた。

そこでは、人々も場所も固有の歴史や出会う人々と関係を結ぶことなく、匿名のまま孤独で均質であると言う。具体的に氏が挙げている例は、空港や高速道路、大型スーパーマーケットのような、人々や物のトラフィックが過剰な場所だが、近年の流動的な雇用や、リモートワークによってノマド化した私たちの仕事(ブルシットジョブ)における環境、オフィススペースも「非-場所」化している。PCのモニターの前に常時座らせられ、時に飲食もしカフェインや諸々のサプリメント等に力を借りながら、「仕事」の時間に付き合わされている我々の身体自体もまた、この均質化に取り込まれているのだろうか。

 

 

抽象絵画 (2023)

アサンダー3/アサンダー13(2023), 155.5 × 118.1 cm, paper, wooden frame

ラヴェンダー・ガット・ミスト (2023), 106.7 × 210.3 cm, paper, wooden frame

アブストラクト・ブリット・オーガン (2023), 90 × 90 cm, paper, wooden frame

ボディフルード・マニフェステイション (2023), 87.5 × 120 cm, paper, wooden frame

ブラッドレイン・ペインティング (2023), 150.9 × 117.3 cm, paper, wooden frame

 

抽象表現主義の絵画やその中心的な批評家、擁護者である、クレメント・グリーンバーグの理論的な構築時期は、戦後アメリカの赤狩り(所謂、マッカーシズム)があった頃と重なっている。特定のモチーフを再現することをやめ、絵画の平面性に還元された彼らの、少なくとも「何が描かれているのか分からない」絵画が作られ、評価された背景には、当時の政治的な背景の影響が見え隠れする。

私達が今日、映画の中の見る高級コンドミニアムで飾られている抽象絵画の「なんだかわからないがアートであることは分かる」という機能や価値、一般的な理解は、少なからず政治的な意図をもって”政治的無力化”された歴史的な産物である。この機能と価値は、抽象表現主義が自由主義のプロパガンダ的な役割を終えて以降、ニューペインティングや、ゾンビフォーマリズムといった、投機的な「アート」の「商品」として再生産され続けている。

 

 

 

 

 

物体 X (2024)

物体X* (2024), 110 × 98.5 × 110.0 cm, paper, urethane sponge, fabric, mixed media

物体X* (2024), 48.6 × 42.1 × 31.7 cm, paper, polystyrene, urethane

 

映画監督ジョンカー・ペンターが1980年代に量産したホラー映画は、新自由主義政策の代名詞として悪名高いレーガン政権の時代を時代背景に作られている。

氏の映画がこの時代の批評として優れているのは、『ゼイリブ』(1988)に顕著なように、資本主義や新自由主義的な理念は、人間の主体性を奪う、別の「何か」として描いていることだろう。即ちこれらは、理念や主義といったものを超えた、人間とは異なる原理で活動する独立した別の行為主体である。このような資本主義のビジョンはマーク・フィッシャーをはじめ所謂、加速主義にも影響を与えている。